“コピーという意味でのメディアの完全な複製は、十分に研究されている。しかし、巻戻しという意味でのメディアの完全な複製は、あまり研究されていない。日常の行動をライフログに記録したり、ライブストリームを保存したりすることを始めると、生活の多くの部分が巻戻し可能になる。私は、メールの受信箱や送信箱をいつも振り返って、自分の生活上の出来事を巻き戻している。もしも巻戻しができるとわかっていれば、最初にすることが変わってくるかもしれない。”

「巻戻し可能なメディア」: 七左衛門のメモ帳 (via thinkupstudio)

出典: memo7.sblo.jp









“現在の奨学金は本質的に「学生ローン」であり、その根本にあるのは、「教育の受益者は学生自身(および保護者たち)である」という信憑である。
人間が教育を受けるのは、「自己利益を増大させるためである」という考え方そのものが現代教育を損なっているということについては、これまでも繰り返し書いてきた。
しつこいようだが、これが常識に登録されるまで、私は同じ主張を繰り返す。
教育の受益者は本人ではない。
直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体である。
共同体の存続のためには、成員たちを知性的・情緒的にある成熟レベルに導く制度が存在しなければならない。
それは共同体が生き延びるために必須のものである。
だから、子どもたちを教育する。
いくらいやがっても教育する。
文字が読めない、四則の計算ができない、外国語がわからない、集団行動ができない、規則に従うことができない、ただ自分の欲望に従って、自己利益の追求だけのために行動するような人間たちが社会の一定数を越えたら、その社会集団は崩壊する。
だから「義務教育」なのだ。
ほとんどの子どもたちは「義務教育」という言葉を誤解しているが、子どもには教育を受ける義務などない。大人たちに「子女に教育を受けさせる義務」が課せられているのである。
それは子女に教育を受けさせることから直接受益するのは「大人たち」、すなわち社会集団全体だからである。
社会集団には成熟したフルメンバーが継続的に供給される必要がある。
学校は畢竟そのためのものである。”

教育のコストは誰が負担するのか? (内田樹の研究室)

いいこというなあ。これは正論。

(via keisuh)

ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。

これが社会。

(via tsundere)

出典: yoppa








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