彗星の住人 美しい魂 エトロフの恋
お年寄り天国 - Chikirinの日記
人生の先輩方へ:後輩へのアドバイスは、“人間として”“人との関わりにおいて”どうすべきかという点に絞って与えてください。社会について、仕事についてのあなたのアドバイスは、残念ながら多分役に立たないです。そういうことについては、若い人が若い人のやり方でやるのを、信じてあげましょう。
人生の新米の人達へ:人生の先達が、勉強や仕事などについて何かもっともらしいことを言ってきても、おそらくそれらはあなたの人生には関係がありません。
でも、人として、人との関わりにおいて、こうなのだ、という話があれば、それには謙虚に耳を傾けましょう。ずっと後から、あなたもそのことがわかるでしょう。
なんだけど、更に一歩進めるともうひとつ大事なことが見えてくる。それは、
「人として、人との関わりにおいて、生きてきて、学んでこなければ、後輩に残せる言葉はひとつも得られない。」ということだ。
いくら“社会的に”様々なキャリアを積み、ビジネスで大成功しても、“人”として、体験し、感じ、成長してこなければ、何も誰かに伝えられない。
つまり「仕事ばっかりしてたらあかんのよ」と、いうことだ。子供や親や友人や同僚と人として向き合い、ポジティブな感情だけではなくネガティブな経験や感情も含めて、“人として”感じ考えたことが、次の世代の誰に伝える価値のあるなにかを生む。
これがわかったのは、実は結構、役立ったかも、と思う。
"どっちが正しいか - Chikirinの日記
人生の新米の人達へ:人生の先達が、勉強や仕事などについて何かもっともらしいことを言ってきても、おそらくそれらはあなたの人生には関係がありません。
でも、人として、人との関わりにおいて、こうなのだ、という話があれば、それには謙虚に耳を傾けましょう。ずっと後から、あなたもそのことがわかるでしょう。
"どっちが正しいか - Chikirinの日記
「何に関しては若者の方が正しく」「何に関しては、シニアの言うことの方が正しいのか?」
その分かれ目は「数十年以内で変わること」と「変わるのに百年はかかること」だ。
数十年で変わることについては、年配者のアドバイスは無用などころか、誤りを誘いさえする。30才で生んだ子なら、自分とは30年は違う時代を生きることになる。したがって30年以内に変わることについては、親の経験に基づいたアドバイスは役立たない。
たとえば教育制度、雇用制度、結婚のトレンド、経済制度などの社会的な制度や枠組みは30年もたてばすっかり変わってしまう。今から30年前の1970年代後半には、一流大企業がリストラをするとは誰も思ってなかった。大学が生徒集めに必死になる状況も想像できなかったし、バブルが来るとさえ誰も思っていなかった。
ちなみに「百年変わらない」というのは1907年(明治40年)から今まで変わってないってことです。「そんなに長い間、変わってないことが何かあるのか??」と思うほど昔です。
社会慣習や社会制度などにおいて、こんなにも長く不変ということは余り存在しない。しかも変わるスピードはどんどん速くなっている。つまり、大半の“社会的な常識”は数十年で変わってしまうのだ、と思った方がよい。
というわけで、両親や先生、もしくは、40才も年上の会社の経営者の方が言う「大学だけはでておけ」とか「籍だけはいれるべきよ」、「○○業界は将来有望だ」、「とにかく若い時は我慢しろ」みたいなアドバイスは、必ずしも有用とはいえない。
"どっちが正しいか - Chikirinの日記
見えやすさ - Chikirinの日記
3つめの理由として“混ざり方”が違うことが挙げられる。たとえばアメリカだと経済レベルによって利用する店が違う。スーパーマーケットとかレストランにも“格”のちがう数種類がある。一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収1000万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんは同じスーパーで夕食の買い物をする。どっちの子供もマクドナルドに行く。
アメリカに留学している時は貧乏学生だったちきりんですが、でもその街のマクドナルドにはほとんど行く気になれなかった。味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、周囲の街の様子からして「私たちが行くべきところではありません」的な臭いがプンプンしていたからだ。利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離してしまっていると強く感じた。
バスも同じ。大都会の目抜き通りは例外だが、アメリカではバスに乗るのは「下流です」と宣言するのと同じ、と言えるような街がある。そういうエリアでは、一定収入以上の家では、親が子供を一切バスに乗らせずに育てていて、子供もバスに乗るなんて自分とは関係ない社会だ、と理解してしまっている。「バスに乗る人」は違う人達なのだ。
"見えやすさ - Chikirinの日記
おもしろい話を聞きました。「終電が出る時刻」という概念。
これは、「有権者の中で50才以上の人が占める割合が半数を超える時」を指します。この時を境に「財政改革ができなくなる」と言われています。
50才以上の人たちは給付を受ける側の人たちであって、この層が過半数に達すると、「将来の世代に借金を残してでも、自分たちへの給付をあつくしてほしい」という声も過半数に達する。そうすると年金や医療保険を含め、財政再建ができなくなる。そういう話です。
IMFがこの終電発車時刻をいくつかの国別に算出しています。アメリカやドイツ、フランスなどでは2015年当たりでにこの“終電”が出てしまいます。イギリスだけはかなり余裕があり、終電は2040年の予定です。*1
で、その表には日本が乗ってないので、人口データをみて日本について計算してみると、なんと日本では2005年の段階で既に「終電がでてしまった後」なのです・・。
"終電だ! - Chikirinの日記
変わる常識 - Chikirinの日記
インドのカースト制度。法律でも差別は禁止されているし、あってはいけないことと認識されていても、まだ根強く残っている田舎もある。その一番下に生まれたら、家政婦の仕事についてもトイレとか床の掃除しかさせてもらえない。お皿洗いはそういう不浄な人たちに任せてはいけない、などと聞いたことがあります。
そういう慣習がまだ色濃く残っている田舎の村で、男子が産まれると「子どものうちになにかしら障害をつくっておく」ことがあるそうです。たとえば右足の膝から下を切ってしまうこともあるというのです。母親が子供への愛情から自分の息子の右足を切り落とすなんてどういうことか?
「こんな身分で生まれたら、結局は施しで生きていくしかない」と考えた場合、女の子なら、乳飲み子を二人ほど抱えて道に座っていれば施しが受けられる。でも、五体満足の男の子は施しがもらえない。どうせ仕事にはつけないなら、施しが受けやすい状態にしておいてやるのは親の愛情である、ということです。それで“わざわざ”自分の子供に障害をつくる。
この母親の常識は“自分の時代の常識”です。今や、インドでそういう立場に生まれても、カリフォルニアに移住して、才能があれば世界的なIT企業の経営者になれたりするかもしれない。
でも、そんなことは30年前のインドの田舎の貧村では想像もつかない。だから“自立して生活する力”を子どもに付けたいと思う母親のやることは“子供に障害をもたせること”なのです。なんだか悲しくなってしまいますよね。
"変わる常識 - Chikirinの日記
49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/13(金) 06:20:17.66 ID:lCOLUXH6O
おっぱいというより女の子の体自体がふにふにしてて衝撃だったな
おっぱいに顔をうずめながら「柔軟剤使ってるだろ!?」って言ったら何故かビンタされた
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/13(金) 06:21:50.82 ID:y5aMmUpSO
»49
ボールド吹いたwww
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/13(金) 06:26:27.14 ID:6X0ndcOFO
»49 wwwww朝っぱらから笑わすなww
はじめておっぱい触ったときどう思った?|スクラップ速報
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